| 『 十条村役場 観光課だより 』 | |
| 〜村人たちの“ほのぼの”事件簿・その2〜 | |
本日も十条村へお越しいただき誠にありがとうございます。 さて、十条村の村人たちが織り成す“ほのぼの”事件をご紹介する第2回目。 今回は、江戸時代の迷子・捨て子のお話でございます。 十条銀座でも、ときどき迷子になるお子さんがいて、放送でお知らせするのですが、 江戸時代の迷子はどんな風に取り扱われていたのでしょうか? |
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◆ 江戸時代の十条村は純粋な「農村」でございましたから、見渡す限りの田んぼと畑、それにところどころ、藪や林があるばかりだったそうでございます。そんな寂しい村では、行き倒れや迷子・捨て子がしばしば見られました。前回ご紹介した『東叡山領取計』という幕末の記録には、なぜか上十条村ばかりに迷子・捨て子の報告が多く出てまいります。 ○ 文化元年(1804)9月、上十条村の百姓・佐兵衛の畑で女の子の捨て子が見つかり、村内の娘が養育することになる。 ○ 文政11年(1828)3月、上十条村・字割子沢(現在の十条仲原3・4丁目と中十条4丁目あたり)で3〜4才くらいの迷子の男の子が見つかり、母親が名乗り出て解決する。 ○ 天保9年(1838)6月、上十条村の百姓・甚八の屋敷近くに4〜5歳くらいの女の子が迷い込み、谷中町に住む町人の娘と判明して解決する。 ○ 天保14年(1843)1月、上十条村・字道女喜(現在の東十条5・6丁目あたり)で捨て子発見。3月に貰い人があり、引き取られる。 |
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![]() ★ 清水坂公園 ★ このあたりは字・割子沢と呼ばれた |
![]() ★ 平和橋より東十条5・6丁目方面 ★ 字・道女喜(どうめき)と呼ばれたところ |
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←(現代語訳) 9月御係・松平右京亮殿 武州豊島郡上十条村の百姓・佐兵衛所有の字・ 割子沢にある畑際で女子の捨て子がみつかり、 (村役人が)現場立会いを願い出たので、(代官 が)家来を村に派遣し調査した上、 同じ上十条 村の百姓・平次郎の娘「いわ」が「乳沢山」(乳 がたくさん出る)だというので、(この捨て子を) 養育をさせることにして、その旨(寺社奉行へ) ご報告申し上げました。 (国会図書館所蔵『東叡山領取計』より) |
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◆ 上記は、文化元(1804)年9月の捨て子の例でございますが、原文にある百姓・佐兵衛さんの屋敷は環七の「馬坂」交差点近くにありました。たぶん捨て子が見つかった畑もそのあたりにあったのでしょう。そして捨て子の養育をすることになった娘・イワさんも「馬坂」近くに住んでいたと推測されます。 それにしても「乳が沢山出るから、おイワさんに養育させる」というのが何とも「ほのぼの」ですね。きっと彼女は胸の豊かな娘さんだったにちがいありません。 |
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![]() ★ 現在の馬坂交差点 ★ |
![]() 捨て子がいた畑はこの先あたりだったか… |
今日は江戸のむかしの迷子・捨て子についてお話いたしました。 「乳沢山」の「おイワ」さんに育てられた女の子は、その後どうなったのでしょうか? きっとスクスク成長して「おイワ」さんみたいにグラマーな女性になったことでしょう。 ひょっとすると、この町のどこかに、彼女の血を引く方が暮らしていらっしゃる かもしれませんよ。そして今もなお、赤ちゃんに豊かなお乳を飲ませているのかも…。 さて、次回はどんなお話をいたしましょうか。 またのお越しをお待ちしております。 |
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