| 十条村役場 観光課だより | |
| 旧稲付川(根村用水)跡を歩く・前編 (十条村のハシからハシまでD旧上十条・稲付村境) |
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本日も、十条村へお越しいただき誠にありがとうございます。 前回に続いて、今日は上十条村と稲付村との村境をご案内いたします。 この両村の境目には、通称「稲付川」と呼ばれる農業用水が流れていました。 稲付川は、またの名を「根村用水」或いは「上郷用水」ともいいます。 下板橋宿にある根村堰で石神井川から分水し、板橋上宿〜稲荷台を通り、 十条の姥が橋を経て、上十条・稲付村境を抜け、下村(北区志茂)の荒川 (現・隅田川)へ注いでおりました。明治期まで、この用水は周囲7か村の 田畑を潤す重要な農業用水だったのでございます。 |
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◆ 村境をご案内する前に「稲付村」についてお話しておきましょう。 稲付村のエリアは、ほぼ現在の赤羽西、西が丘、赤羽南1・2丁目辺りに相当します。 戦後も稲付町1〜5丁目、稲付西町1〜5丁目、稲付梅木町などの町名が残っていましたが 昭和39年から46年にかけて、順次現在の「赤羽西」「西が丘」などの町名に変更されて いったということです。 ◆ 岩槻街道沿いの普門院さん前にある「道灌山稲荷」では、毎年初午の日に餅つきが 行われ、「稲付の餅練り唄・餅搗き唄」が披露されるので有名ですね。 この餅搗唄は北区指定無形民俗文化財になっています。 「イナツケ」と読む人もいますが、地元のお年寄りは「イネツケ」と言うようです。 |
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![]() ◆ 村境地図 ◆ |
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◆ さて、今回の出発地点は、前回の終着点・姥が橋です。 姥が橋とは、かつて稲付川に架かっていた橋の名前で、この橋には誤って稲付川に 子供を落としてしまった姥(ウバ)が、この川に身投げしたという悲しい昔話が伝わって います。橋のたもとにはお地蔵さんが立っており、毎年8月24日に縁日が催されます。 お地蔵さんは享保九年(1724)の造立だそうです。 |
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◆ 「稲付の小径」案内板 ◆ 姥が橋から稲付川を辿る道は散歩道 となっており、コース入り口には 案内板が立てられています。 コース途中の歩道にはプレートが ありますので探してみてください。 |
![]() ◆ 旧稲付川へ降りる階段 ◆ |
![]() ◆ 稲付の小径のプレート ◆ |
◆ それでは案内板に従って、暗渠になった旧稲付川の路地を歩いていきましょう。この道が つまり旧上十条村と稲付村との村境になるわけでございます。明治の頃は、姥が橋のすぐそばに 水車があったそうです。石橋、お地蔵さん、水車・・・のどかな風景だったことでしょうね。 ちなみに稲付川は昭和42年着工の工事により暗渠となったそうです。 ◆ 何しろ昔は川だった道ですから、まるで谷底を歩いているみたいです。道の両側は、階段や 石段ばかり。しばらく歩くと、左手に三ツ和公園、西が丘保育園などがあります。 |
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| ◆ 西が丘保育園の先に、梅の木小学校の 裏門が見えてまいります。 戦前は、この辺り一帯に陸軍の射撃場 (稲付射場)があったそうでございます。 |
![]() ◆ 梅の木小学校裏門 ◆ |
![]() ◆ 射撃場跡の塀? ◆ |
◆ たぶんこの塀も、陸軍射撃場時代の 名残なのではないかと思われます。・・・ |
◆ 梅の木小学校の先で、道は大きく右へ カーブします。そしてカーブの先は、道が広く なっていました。 おそらく川巾も広くなっていたのでしょう。 向って右側が上十条村、左側が稲付村です。 |
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![]() ◆ 村境地図・拡大 ◆(クリックすると拡大) |
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◆ 広い道を進むと、その先はまた細い路地。この辺りで、昔は流路が二つに分かれていた ようです。しばらく歩くと左側に「水車の坂」と呼ばれる急な坂があります。 |
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![]() ◆ 水車の坂 登り口 ◆ 坂の上からの眺めは気持ち良いですね。 谷底のような坂の下には小川が流れ、 向いには十条の台地が広がって見える、 それはまさに十条村と稲付村とを隔てる 「村境」の風景だったことでございましょう。 |
◆ こんな坂の斜面に水車があったのかしら と思ってしまいますが、記録によると、かつて この場所(稲付村字寺ノ上1000番地)に 「六右衛門」さんの水車があったのだそうで ございます。姥が橋の近くにあった水車より 大きなものだったとか・・・。 ![]() ◆ 水車の坂 上から ◆ |
「水車の坂」については北区文化財のページもご参照ください。↓ http://www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da124.htm |
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◆ 稲付川の路地へ戻り、水車の坂とは反対の右へ曲がると、「游鯉園の坂」へ出ます。 「游鯉園」とは、この先にあった魚料理の料亭の名前で、戦前は政府高官や財界の要人 たちが集う社交場として利用され、有名だったそうでございます。 |
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![]() ◆ 水車の坂に比べるとゆるやかな坂 ですが、だらだらと長く続くので、 上ると案外疲れました。・・・ |
![]() ◆ 游鯉園の坂 ◆ |
「游鯉園の坂」も北区文化財のページがあります。↓ http://www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da131.htm |
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◆ 游鯉園の坂から戻って、稲付川の路地を少し先に進むと、右手に広がる住宅地が、かつての 料亭「游鯉園」跡地です。いまも個人宅の庭などに、当時の面影がわずかにうかがわれます。 |
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![]() ◆ 奥の方に游鯉園の名残が・・・ ◆ |
◆ 今はアパートになっている建物の 奥の方、崖を背にして森のように木が 生い茂っているあたりが、恐らくかつての 「游鯉園」の庭だったところ(の一部) ではないかと思われます。・・・・ |
今回は姥が橋から游鯉園跡地までをご案内いたしました。 上十条村と稲付村の村境はまだまだ続きます。 旧稲付川の路地をたどって、次回もこの続きを歩いてみることにいたしましょう。 またのお越しをお待ちいたしております。 |
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