十条村役場 観光課だより
中央公園正門付近〜王子新道踏切を歩く
(十条村のハシからハシまでB旧下十条・滝野川村境)

毎度、十条村へお越しいただき誠にありがとうございます。

十条村の境目を歩くシリーズの第3回目は、下十条村と滝野川村の境界線をご案内
いたしましょう。コースは、前回の終着点・区立中央公園正門付近から「王子新道」
を西へ歩き、埼京線と交差する王子新道踏切までの短い道のりです。
距離は短いのですが、十条と滝野川の村境にも、それなりに歴史的なエピソードが
残されているのでございます。

◆ 下十条村と滝野川村との境目は、だいたい現在の「王子新道」に沿って伸びていた
と考えられております。ただ、江戸時代の境界線は複雑に入り組んでいたものと想像され
飛び地なども多かったことでしょう。あとでご案内いたしますが、下十条村と滝野川村の間
には「谷津」という集落がまたがっており、境界線が曖昧な地区だったのでございます。

   

                       ◆ 村境地図 ◆

◆ 「王子新道」は、明治20年(1887)11月着工。明治21年2月11日に完成記念の開道
式典を行ったそうです。当時、王子は工場や停車場が出来て、急速に発展していましたが、
江戸の四宿に数えられた板橋宿は、明治に入ると次第にかつての繁栄にかげりが見られる
ようになっていました。そこで、地元の有志が立ち上がり、東京府からも助成金を得て、王子
と板橋を結ぶ新道を開設し、両地域の発展を目指したのでございます。

◆ 現在の王子新道は、区役所通りの王子本町交番前から分岐して、板橋へ通じていますが
かつては交番から先、東へ伸びる権現坂も含めて「王子新道」と呼ばれておりました。つまり、
現在の森下通り(王子駅西口から王子稲荷前へ至る道)と権現坂(北とぴあ正面入口前から
区役所通りへ上る坂道)がぶつかる交差点が、王子新道の本来の出発点でございました。
まだ、新道開設当時は、音無橋も架かっておらず、飛鳥山前へまっすぐ伸びる区役所通りも
開通していなかったのです。




◆ 王子新道 ◆

「新道」といっても、できたのは今から
118年前のこと。2008年には120周年
を迎えるのですね。


◆ さて、下十条と滝野川の村境になっている王子新道の周辺に、かつて「谷津」と呼ばれる
集落がありました。現在の滝野川4丁目と王子本町3丁目一帯で、寿徳寺というお寺を中心と
して石神井川左岸に広がる集落でございました。この「谷津」という集落は、十条村と滝野川村
の両方にまたがっており、ちょうどその真ん中を王子新道が横断しておりました。

◆ 江戸時代の一時期「谷津村」として独立していた時期もあったようですが、幕末の頃には、
北側半分が下十条村へ、南側半分が滝野川村へと分かれていたとも言われております。
明治に入り、新たに境界線が引かれたのですが、王子新道の開設によって再び境界が分断
されてしまったので、今度は王子新道を村の境界線に変更し、ようやく落ち着きました。

◆ 寿徳寺 ◆

子育観音、谷津観音とも言われます。
板橋駅前にある近藤勇のお墓は、
このお寺が管理しています。
その関係で新撰組ファンの方たちにも
厚く信仰されているお寺です。
  ◆ 谷津自治会会館 ◆

今でも滝野川4丁目あたりの町会には、
「谷津」の名称が使われています。




◆ 村境に話を戻し、王子新道を西へ歩きます。しばらく進むと、埼京線と交差する踏切に出ます。
「王子新道踏切」です。踏切のすぐ手前あたりが、下十条村と滝野川村そして下板橋宿との境界
だったところです。ここで十条・滝野川両村の村境は終点でございます。

◆ 板橋区は埼京線の西側だけ、と思っていたら、実は線路の手前(東側)にも少しだけハミ出して
いるのをご存知でしょうか。大きな地図をお持ちの方はご確認ください。加賀1丁目1番地と板橋4
丁目45番地は、ちょっとだけ埼京線の東側にハミ出しているのですね。
こうした中途半端な区界も、元をたどれば村境の名残りなのでございます。



◆ 王子新道踏切 ◆

この踏切の手前あたりが、村境でした。
道幅も当時とあまり変わっていないのでしょう。



◆ 板橋東いこいの森公園 ◆

埼京線の北区側(東側)にハミ出した
板橋区エリアに、こんな公園がありました。
石神井川に面した、正に森のような公園。


今回は下十条村と滝野川村の境目を歩いてみました。
次回もまた、この続きを歩いてまいります。どうぞお楽しみに。